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2007年に始まったブログです。2021年から
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​赤絵

私の赤絵は、大皿の場合アクセントとして、あるポイントに赤い色を施すだけなので、ほんの10秒ぐらいで終わる仕事です。小さな茶碗の全体に絵付けする場合でも一つの器に1分もかからないと思います。その赤色の顔料は着色剤の酸化鉄とGlasfrittenの混合物を乳鉢ではなくガラス板の上で良く擂り潰し、顔料の粒子を限りなくナノ単位に近づけます。この作業に私は7時間かけます。この超高速時代の中で超非効率な仕事でしょう。赤絵専門の絵付師は、電動乳鉢で擂り潰したものを、最終的にはガラス板の上でやはり手作業の擦りを行い、使える状態にするようです。私は年に数回しか赤絵付けをしないので、電動乳鉢を用意することもなく、まあいいか・・とこの仕事に7時間を費やします。必ず7時間摺り続ける必要があるかどうかを考えたことはないのですが、顔料の色合いを見ていると、赤黒い鉄色が次第に明るさを増し白っぽくなっていき、ついに光っているように見えてきたら、絵付けのゴーサインです。そのような状態になるのが大体いつも7時間後ぐらいです。

 

しかしこの赤絵顔料に関してもっと驚くべき記事を最近読みました。

日本赤絵の創始者は柿右衛門(1595-1666)です。嘘か本当か、柿の実のような赤を求めたとか。(1659年から東インド会社が日本の磁器製品を輸出し始め、やがてマイセンやヨーロッパ各地で柿右衛門を見本として色絵付け製品が製造されるようになります。)

この柿右衛門が赤絵を始めたのは日本で磁器産業が始まった九州有田です。そこには赤絵町という町名が残っていて、今も赤絵顔料を専門に生産している工房があるのですが、昔から赤は高価な顔料で、現在も100g2万円を超える相場を維持しているそうです。この高値の最大の要因は、製造工程の複雑さに隠されています。

焼成後の赤色の発色に濁りを生み出さないようにするために、原料である酸化鉄の塩分を取り除く必要があり、この作業を完了させるだけでも10年の歳月を必要とする!!

これは昔の話ではありません。2019年に書かれた記事です。

 

私の持っている赤絵顔料は、この九州有田、赤絵町産の物ではありません。美大時代の友人が日本からドイツまで送ってくれたものです。彼女の優しさを思えばそれはとても大事な陶芸材料なので、たった7時間摺り続けて、私なりに満足できる発色にたどり着けるとしたら、それほど時間の浪費ではないかもしれません。

https://kakiemon.co.jp/en/#section02 柿右衛門スタイル

このページに興味深い柿右衛門スタイルの工程ビデオを見ることが出来ます。

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​朝の仕事

冬の朝、ストーブのための仕事、灰の掃除をして、薪の種類をセレクトして、今日一日に使う量を決めて運んでくる。その仕事が楽しいとか、朝の新鮮な空気を吸えるので健康に良いとか、これまでいろいろな機会に書いてきたと思う。

ここにさらにいくつかの理由もメモしておきたい。毎日やらなければならない仕事があるというが嬉しい。勿論本業の陶芸の仕事をやらなけばならないことと考えるべきだが、あまり毎日のルーティンとして時間割はしていない。それをしたら他の予定が何も入らなくなってしまう。本業は他の用事の合間にやるか、他の用事が終わってからほっとして始まるものである。だから朝のほんの10分ぐらいの間に一仕事終えたという感覚はとても嬉しいものになる。それから外国に暮らす根無し草的な感覚も冬の朝の一仕事は忘れさせてくれる。

 

しかしこの自分の根本はどこにあるのかという問いは、よく聞く。違う国籍の両親に、しかもどちらの母国でもない外国に生まれ、ごく自然に4か国語ぐらい話せる若ものは、他者にとってはうらやましい経歴だが、本人は自分の根っこがどこにあるのかわからなくて悩んでいたりする。

 

何処に根があるか? それは私の場合遠い昔の生活習慣の記憶にあるような気がする。東北の寒い朝、気合を入れて起きて着替えて、外の別棟の台所に行くと、既に竈に薪がくべられて、釜から湯気が出ている。小屋の壁には天井まで高く薪が積み重ねられている。その前には今の炉端用の炭のストックもある。

それが私にとっての生活の原点だったのだと思う。

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​大豆

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大豆製品、味噌・醤油・豆腐・あぶらげ・納豆、それから枝豆も忘れてはいけない。それらの食品は日本ではごく当たり前に買ってくるものだったから、ドイツに来て、それらが無いという事によって、逆にいろいろな大豆に関わる話に関心を持つようになりました。

 

最近も、シュトゥットガルトの地方紙に、大豆栽培の記事がありました。ここ数年大豆栽培は南ドイツの農家でトレンドなのだそうです。しかし大豆は気の弱い農民には合わないという、なんとも微妙な記事です。 

2008年、農学部で有名なホーエンハイム大学に所属する州立植物育種研究所は、ドイツで初めての大豆育種を開始し、大学の傍の実験耕地でこれまで500種以上のテスト品種が栽培されてきました。今年は13年目の秋、収穫の時が近づいています。

 

この大豆育成研究の一環に協力者を募集する企画もありました。私はこのプロジェクトに参加した女性を知っています。2016年から始まった「1000ガーデン」です。

ドイツ中のさまざまな場所に1,700以上の交配種を植えるというユニークな実験です。このプロジェクトに参加を名乗り出た趣味の園芸家からプロの農業者までは、異なる大豆株の12個の種袋を受け取りました。

「最も重要な研究目標の1つは、早熟な大豆株を特定することです」と研究所所長の説明。より早く熟する、夏が短く涼しいドイツの地域での栽培にも適した大豆を探すという課題です。しかし2016年は春が異常に暖かかったため、北の地域の生産性の本当のところが判らないという結果でした。

 

そして2018年にプロジェクト2が実施されました。この年のプロジェクトに関する記事はいきなり豆腐の事から始まっています。フライブルクの豆腐製造業者Taifunがこのプロジェクトに深くかかわっています。

豆腐製造に適したより多くのたんぱく質を含む大豆種を見つけ出そうという役割です。

アジアで伝統的に食べられているたんぱく質が豊富な豆から作られた豆腐は、ヨーロッパでも近年の菜食主義ブームの中で肉を使わない食材として注目されつつあります。その反面環境保護論者は、大豆が主にブラジルなどの国で生産され、その後ヨーロッパに輸送される点に批判的です。 その過程でエネルギーと資源を使い果たすという見方、 さらに大豆プランタージュのために広大な森林地帯が開発され、環境に悪影響を及ぼしているという問題もある。大豆プロジェクト2に関する記事はテーマがさらに広がってきました。

 

そして今年の記事は、何年か続けて実際に大豆を育てた人々の感想として、大豆は生産性が不安定で計算できないという結論になりそうなエピソードが続きます。だから気の弱い農業者には合わないという事なのです。しかしその見方はホーエンハイム大学を中心に広がるこの地域の伝統的な農業が、シュトゥットガルトという都市の消費者を抱えているために、野菜や果物の栽培で十分という土地柄にも一因しています。

 

日本ではみんなが大豆製品を食べていますが、大豆自給率は7%で、ほとんどアメリカやブラジル、中国からの輸入に頼っているのは、油や家畜飼料をカバーするためだそうです。ドイツでも事情は同じでたんぱく質の豊富な家畜飼料確保も、この大豆育成プロジェクトの大きな目標です。さらに今は世界市場で大豆はお金になります。 中国からのトレーダーがすべてを購入するため、1トンの大豆の価格は前年の2倍以上になりました。南ドイツの大豆耕地面積はこの4年間で2倍以上に広がりました。さてドイツの大豆プロジェクトはどうなっていくのでしょう、これからの経緯も興味深いです。なお既にTaifunは独自の大豆種「トフィーナ」が承認されました。他にも家畜飼料用の「レジーナ」などいくつかの大豆種が販売に至っているそうです. 来年2022年春に、「1000ガーデン」プロジェクト3が始まります。

​薪来た!!

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今年の8月は薪ストーブを焚きたい日がありました。照明用の細い薪がなかったので自分で割りました。近所の人は「一年中木の手入れをしなければならないのは大変そうだ」と話していました。趣味でやってるのに。

毎年9月に私は来たる冬に備えて薪を購入します。ブナです。ストーブの燃え方には個人差があり、薪の選び方も異なります。

隣のビルで働いていたとき、夜中に数時間家にいました。したがって、暖かさを得るには、安く購入できるか、自分で切ることができる混合木材を1〜2時間燃やすだけで十分でした。

しかし、昨年から在宅で仕事をするようになってからは、長時間ブナ材を燃やす必要があったため、仕事中に頻繁に木を投入する必要がなくなりました。

早めに薪の準備をしていると、通りすがりのご近所さんから「こんなに早く冬の準備をしている人には冬が来るのが遅いよ」と言われます。日本で言う諺のようなものでしょうか? 「備えあれば憂いなし」

10月になって少し肌寒くなってくると、オーブンを温めたくなります。まだそれほど寒くはありませんが、十分にある薪を追加で使用しています。この冬が大丈夫かどうか、11月にもう一度薪の供給をチェックしなければなりません。それから木材を並べ替えなければなりません。

春の早朝、薪がなくなり、薪割りをしなければなりません。このハッキング作業が終わるまで何日かかるだろうかと心配になります。薪ストーブで働くことは、私の人生における重要な季節の儀式です。

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​織部

私が織部釉薬を作り始めたのはドイツに来てからです。私が日本で使っていた窯は還元焼成が可能な電気窯でした。その窯で私はもっぱら美しい磁器土の白さと、絵付け顔料である呉須の美しい青の発色を求めていました。磁器以外の炻器土も還元焼成すると土色がグレー系に変色し、その土色そのものが面白いので、それを色釉薬で覆ってしまいたくはなく、当時は透明釉だけでも十分制作できました。

 

ドイツで作陶を再開した際、手に入った窯が酸化焼成のみ可能な電気窯だったので、その焼き方で得られる色釉薬、織部の緑、黄瀬戸の飴色、天目の黒などが自然と制作のレパートリーに加わってきました。織部という名前は茶人だった古田織部の人物名で、織部物とは本来緑色の器を指すのではなく、彼の茶道哲学を表現するために次第に変化しながら抽象的な紋様へと変化していった彼のデザイン感を指す名称だったようです。

 

1605年ごろから織部焼が始まっていますが、それから400年後の今、織部という言葉で検索するとネット上に登場する器は、織部を目指した陶工たちの差万別の想いが見え隠れして面白いです。日本人のDNA の中には、この緑色に対する嗜好性が隠されているようで、古田織部以来、多くの陶工がこの色を求め続けてきました。私も自分の織部作品を見ているとなぜかほっとさせられます。

 

織部緑の着色剤は酸化銅です。もう一つ、ドイツで見つけた調合から作った緑色も使っていて、この色も私は好きですし、着色剤はやはり酸化銅です。でも釉薬調合の基本が何となく違う事、感じられると思います。和食器のアシメトリーな器より、造形的な形がこのドイツ緑に合うようです

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​ネーム

自分のHPサイトに適切な名前を付けることは、意外に難しかった。

まず覚えやすい名前であること。

次にサイトが私のものであるとわかりやすく、自分の仕事や場所を紹介するのにふさわしい名前であること。

既に持っているオンライン上の私のページ、ブログ、フェースブック、インスタグラムの名前もHPと共通のものにする。そんな3つの条件をクリアする名前を考えた。

私のローマ字表記の名前、Koko Uozumiのうち、Kokoは調べると既に様々な分野の商標として使われている。だから使いにくい。ではUozumiの方はどうだろう。あるドイツ人から聞いた感想では、UOと母音が二つ並んでいるのがまず違和感になるらしい。でももっと読みづらい、長い外国名もあるからそう気にすることはない、と言われたが、とても気になりはじめた

フェースブック、インスタグラムを開設したときはKokoのネーミングが使えず(Atelier KokoもKoko Ceramicも誰かが既に使っている。Cocoにしても同じ)単純に考えてUozumiを使った。日本人にはこのローマ字表記を発音することは何の問題もないけれど、ドイツ人には見ただけで覚えられる類の文字ではないだろう。かといって、商標として全く違う文字、例えばNeko Ceramic とか Atelier Nekoといった私と結びつく良い名前も考えつかない。

それで、結局最後にフルネームを使った。Koko Uozumi Ceramic

果たしてこの名前を憶えてくれる人が現れるだろうか?

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​忘れていた作品

かつて寛太工房があったへ―リンゲン村へ、あるご夫婦を訪ねました。

10年前まだ少年だった息子さんは立派な若者になっていて、以前はいなかった2匹の犬がいました。

其れよりも驚いたのは忘れていた自分の作品に遭遇したことです

こんなに猫ばかり描いていた・・・

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