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執筆者の写真Koko Uozumi

織部

私が織部釉薬を作り始めたのはドイツに来てからです。私が日本で使っていた窯は還元焼成が可能な電気窯でした。その窯で私はもっぱら美しい磁器土の白さと、絵付け顔料である呉須の美しい青の発色を求めていました。磁器以外の炻器土も還元焼成すると土色がグレー系に変色し、その土色そのものが面白いので、それを色釉薬で覆ってしまいたくはなく、当時は透明釉だけでも十分制作できました。


ドイツで作陶を再開した際、手に入った窯が酸化焼成のみ可能な電気窯だったので、その焼き方で得られる色釉薬、織部の緑、黄瀬戸の飴色、天目の黒などが自然と制作のレパートリーに加わってきました。織部という名前は茶人だった古田織部の人物名で、織部物とは本来緑色の器を指すのではなく、彼の茶道哲学を表現するために次第に変化しながら抽象的な紋様へと変化していった彼のデザイン感を指す名称だったようです。


1605年ごろから織部焼が始まっていますが、それから400年後の今、織部という言葉で検索するとネット上に登場する器は、織部を目指した陶工たちの差万別の想いが見え隠れして面白いです。日本人のDNA の中には、この緑色に対する嗜好性が隠されているようで、古田織部以来、多くの陶工がこの色を求め続けてきました。私も自分の織部作品を見ているとなぜかほっとさせられます。


私も自分の織部作品を見ているとなぜかほっとさせられます。織部緑の着色剤は酸化銅です。もう一つ、ドイツで見つけた調合から作った緑色も使っていて、この色も私は好きですし、着色剤はやはり酸化銅です。でも釉薬調合の基本が何となく違う事、感じられると思います。和食器のアシメトリーな器より、造形的な形がこのドイツ緑に合うようです










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